誰が眠る五色塚古墳 2003.3.2

    後円墳  昨日の雨が嘘のように晴れた午後、明日からまたぐずつくとの天気予報にいてもたっても居られず、車で出かけることにした。ちょっとしたドライブ、遠出はできぬ。海も望めて景色の良い所として五色塚古墳に行くことにした。近隣周辺はほとんど行き尽くしているはずなのになぜかここだけはまだ行けていない。

     自宅から西神戸バイパスを経由し、名谷、須磨から地道を垂水に抜ける。垂水にて一旦2号線に出て、うっかりすれば見落としてしまいそうな、五色塚古墳への小さな案内標識に従い、垂水駅を過ぎてのすぐの交差点を右折、街中へと車を進める。相変わらずの小さな案内標識に従い、左折、直進、また左折を繰り返し、古墳にたどり着く。着いてみると有名な史跡の割には駐車場が無い。古墳周囲に巡らした堀の土手に築かれた周辺道路の適当な所に車を停める。駐停車禁止の交通標識があるが仕方ない。小一時間ばかり、なんとか許してくださいと念じる。

     入り口右手に管理棟がある。見学者は中に入って記帳してくださいとの案内があり、中に入る。年輩の管理人がお二人、丁寧に出迎え、記帳の案内をしてくれる。どうやら入場料を取る代わりに記帳させているようだ。先に入った年輩の女性が記帳を終わるのを待つ。名前を書き、住所は、神戸市の方は区からどうぞの指示に甘んじ、北区....と記帳する。「記帳を終わったら後ろの展示物も見て行ってくださいね」と管理人の方が話し掛けてくる。振り返ると、ガラス戸棚に納まった埴輪や古墳復元の模様を撮った写真が見える。 前方墳 しばし、写真を眺めながら管理人の話しに耳を傾ける。後円墳の白い積み石は新しいものをしっくいで固め崩れないようにしてあるが、前方墳の黒っぽい積み石は当時のものをそのまま積み上げているという。「なぜこのような海を望む所に墓を作ったんでしょうね」と前もって調べておけばすることもない馬鹿な質問をしてしまったが、自分の勢力範囲を見下ろす所に墓を作ったと言ういわれからして、このあたりの制海権を握っていた豪族が亡くなって作られたんでしょう、と丁寧に回答してくれた。

    墳頂  管理棟を出て、見学者用に付けられた石段を墳頂に向けて登る。最初に方墳の所の上に出る。南を向けば明石海峡、明石大橋が間近に見える。北を向けば、後円墳の丸い石積みの山。後円墳の頂上に登ると、円形に埴輪が取り囲み、四方には、びっしりと建てられた近代建築の棟々が望める。古墳建設当時は、辺り一面原野であったのだろうか、今はその面影は何も無い。死に至っても自分の領地に睨みを効かすべく、大きな古墳を築き、そこに静かに眠るいにしえの輩、果たしてどんな人物であったのか。興味津々のまま、古墳を後にした。