昨日の話題「確率計算上は同じでも」について、更に検討してみた。申込者参加型の抽選方法だが、当選確率は全ての者が1/10であることは疑いのない事実であるが、なぜか心情的に不公平感を感じてしまう。これをなんとか数字で表せないか考えて見た。 2番目にボールを引く人の立場で考えて見る。この人が当選するには、最初にボールを引く人が外れてくれなければならない。ここで、最初の人の外れる確率は、9/10であり、外れてくれる可能性が高い訳だが、2番目に引く人からすれば、最初の人が当てるか外すかの結果のみが重要で、最初の人の当選確率は、1/2に見える(本当は1/10)。 3番目の人にすれば、前にいる2人のどちらかが当ててしまえば、自分は外れになるから、前の人が当てる確率は、2/3に見える(本当は2/10)。5番目の人にすれば、4/5の確率で前の誰かが当てるような気がしてしまう。10番目の人に至っては、前にいる9人全員が外してくれるとは、とうてい思えない。 と、ここまで検討して気がついた。わずか10名で、たかだか10個のボールを相手にくじを引くから、このように感じるのだ。例えば、1000個もあるボールの中から1個を引き当てるようなケースを考えて見ると、このような不公平感は湧いて来ない。 最初にボールを引く人が、1000個の中から運良く1個を引き当てるなんて誰も想像できない。更に、2番目の人や3番目の人が運良く引き当てるともとうてい思えない。誰がやっても無理だろうと最初から諦めている。事実、手回し車のくじ引き(ガラガラと回してから止めるとコロンと小さな玉がでてくるあれです)では、外れ玉がたくさん入れてあり、引く順番に不公平感なんて感じることはまずない。今回の場合は、ボールが10個と少ないものだから、誰が引いても容易に当てそうな気がしてこのような不公平感を抱いてしまったのだろう。 このような抽選を行う場合には、確率計算では同じであっても、運良く当選したと誰もが感じられる偶然の要素が大きく働くやり方が望ましいということかもしれない。 |